文系か、理系か。
いつから人間はその2つに分類されるようになったのか。

高校生になると、その2つのどちらに進むのか選択を迫られる。
そして私は理系を選んだ、16歳。
特に大きな夢も理由もなく、理系を選んだ。
国語と歴史が好きで、物理と地理が嫌いだったけれど、理系を選んだ。
だからなにって言うことはないんだ。
理系に行っても、文系に進んでも、きっと、今の自分は一緒だ。
でもちょっとだけ影響されているとすれば、「正解があるかどうか」。
数学や物理は、明確なたったひとつの答えがある。
ただ、答えを導き出す過程はさまざまだ。
導き出し方が間違っていたとしても、答えがあっていれば点数がもらえる。
国語や英語は、言い回しや言葉の使い方、考え方によって様々な正解がある。
ワタシは言葉が好きだ。
でも、ひとつの言葉によって一喜したり、一憂したり、
好きだからこそ、ひとつひとつの言葉を大切に思うからこそ、自分に与える影響が大きいのである。か
心穏やかに過ごしたいのであれば、
言葉なんていらない。
何にも感情を左右されずに、自分のことだけ考えて、毎日生き抜いていれば、
普段感じない感情に流されたり、押しつぶされそうになったり、しない。
最近、「正解」というものがわからない。
正解とか常識とか、当たり前とか普通とか、それってなんなのだろう、と。
考えることが多い。
自分は普通じゃないのか、
あの時、自分はどうすれば正解だったのか、
みんなが思う常識ってどれなんだ、
とか。
自分が正解だと思ってやったことも、話したことも、
相手にとっては不正解だったり。
これが数学だったらどんなに楽だろうか。
だから人間は、文系と理系のどちらかにはなれないのかもしれない。
人生の最後は、死である。
その死の瞬間に、幸せだと思えるように、人生が正解だったと思えるように、
目指す正解はひとつだけれども、その過程は様々で、自分次第。
人生は数学や物理のようなものなのかもしれない。
でも、心の中は、
国語や歴史を学んだことによって持つ、気持ちや言葉や想いでできている。
そうゆうのを学ぶのが学校なんだな、と。
今、泣いたり笑ったり、悩んだり苦しんだりしているのは、
人生の正解を見つけるための、過程なのだ。
答えを見つけるための方程式を探して、
そこにあてはまる数字や単語をちょっとずつ探していて、
「幸せだな」って思えた瞬間が、自分の「正解」であって、そのために今までがあったんだなって、思えるように。
そうやって一歩一歩前へ、進んでいくのである。
だからもう、目先のことにモヤモヤしたりクヨクヨしたりしない。
未来は、明るいのである。
そうゆう、たんなる、
ひとりごと。
今年は、おっきな花火を目の前でみたいなぁ。

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