仕事して帰ってきた土曜日。
お酒を飲んで、そのまま寝てしまったのは、
疲れていたからか、心が満たされていたからか、なんなのか。

結果的に、こんな時間に起きてしまった。
寝ようと思ったけど、なんとなく、寝れなくて。
色々と考えていたら、頭の中だけでなくて、手が動いている、今。

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最近、コトバについてよく考える。


自分が受け取るコトバ、
自分が伝えるコトバ、
テレビで誰かが発信しているコトバ、
歌の歌詞、
ニュースのタイトル、
広告のコピー、
小説の一文、

まわりはコトバで溢れている。
溢れているからこそ、その存在にもなかなか気づかないものなのかもしれない。



デジタルのコミュニケーションは、
ビジュアルだ。

画像だったり、動画だったり、スタンプもそう。
そして、このブログもそう。

行間を読まなくても、一瞬で判断できる写真。
短い単語で繋がれる、ハッシュタグ。
言いたいことを効率的に伝えられるスタンプ。

ポケベルで送る、「332289」の文字も、
スタンプひとつで済んでしまう世の中だ。

必然的にコトバに接する機会がなくなっているから、その存在が忘れられているのかもしれない。


それも良いけれど、
やっぱり相手のことを考えて選んだコトバで創られた文章が、
人間の心を動かし、心を満たすのだと思う。




最近、感動したコトバはありますか?
心動かされたコトバはありますか?
勇気や元気をもらったコトバはありますか?
涙が出るくらい嬉しかったコトバはありますか?



例えば、物の価値観や考え方の価値観があるけれど、
コトバの価値観ってなかなか考えたことがなくて。

コトバの価値観が一緒だと、使う言葉も選ぶし、選ばれるし、
ほとんど同じ意味でも言い方、単語ひとつでとらえ方も変わるのがわかるし、
だからこそ、相手のことを想って、コトバを発するのだ。



思えば、いつの日も、自分はコトバに励まされ、勇気をもらい、元気づけられてきた。
だから、コトバが好きなんだ。

自信がない時でも、コトバはパワーをくれる。
自分は、これでいいんだ。
って、確信をくれる。


中学の部活の先生からもらった、
「適度な緊張は、最高のプレーを生む」
というコトバは、今の仕事でもいつも思い出す。
プレゼンでとても緊張しているけれど、その緊張は最高のプレーを生むためのものなんだ。
自分はこれだけ頑張ってきたんだから、失敗してもいいや。
それくらいの気持ちを持たせてくれる、最高のコトバ。

中学の担任の先生は、とても辛かった時に電話で、
「お前の味方はたくさんいるから。」
と言ってくれて、涙をたくさん流した。

高校の先生には、
「伊藤はやればできるんだから。」
と言われ、そのコトバがとても嫌で、
“先生は、私の何をわかってそう言っているんですか?”と言って大喧嘩した。
そんな面倒くさい私にも、一生懸命にそんなことを言ってくれる人がいるというだけで、
ありがたいと、今になって思う。

大学では、色々な人と出会い、色々なコトバにも出会った。
辛いこともあったし、幸せなこともたくさんあった。
「人事を尽くして天命を待つ」
これは普通に有名なコトバだけど、研究室の先生がくれたコトバ。
自分にできることは最善を尽くす。
今、社会人になって、自分の存在価値を考える時、このコトバをいつも思い出す。
自分にやれることは全部やりきろうって。
時間が許す限りは妥協せずに、全力を尽くす。


新卒でドリコムに入るとき、会社説明会での内藤さんのコトバ。
「やりたいことをやらないことが、一番のリスク」
そのコトバひとつで、ドリコムに入った、22歳。
あれから10年以上経ったけど、今もそのコトバを忘れないし、
その時の自分の行動は間違っていないと思っている。


他にもたくさんたくさん、自分を支えるコトバはあるけれど、
心の中に大切にしまってあります。




社会が発展するにつれ、
鉛筆で文章を書くことがなくなったり、
キーボードが漢字に変換してくれたり、
相手のことを想って綴ったり、
新聞を読んだり、雑誌を読んだり、
そうゆう、コトバに触れる機会が減っているかもしれない。

でも結局、
人の心を動かしたり、満たしたり、勇気づけたりするのは、
その人のためを想って伝えられたコトバだ。

それは、
メールでもLINEでも、歌の歌詞でも小説の一文でも、いい。

そうゆうのを忘れない気持ちで、
大人になってもたまに想い出して、
心穏やかに、これからも生きていこう。


目覚めたら、
明るい朝がやってきていて、
また、ステキなコトバたちに溢れる1日がはじまりますように。

おやすみなさい。