1984年7月1日、午前6時半に茨城県の病院で誕生しました。
それから25年が過ぎ、まもなく26年目に突入しようとしています。

25歳でゆっくり過ごせる日はあと何日あるのかわからないので、
せっかくゆっくりできる今日、いろいろ振り返ってみています。


いろんな人に助けられ、いろんな人に育てられ、
それ以上にいろんな人に迷惑をかけたけど、
たくさんの素敵な人に恵まれてきた今までだったと思います。



「適度な緊張感は最高のプレーを生む」

小学生のころからずっとやっていたバスケット。
その中で一番心に残っている監督の言葉です。


友達がみんなやっているから、
というありがちな理由でバスケットを始めた。


もともと運動神経は悪くなかったのと、
この頃からの、大の負けず嫌いだったのと、
後は背が高かったので、
結構試合はよく出ていた気がする。


練習試合でフリースローを外すと校庭をランニング。
シュートミスやパスミスしたら容赦なく、殴られたり蹴られたりした。


祖父がバスケットボールの先生だったので、
よくキャッチボールをしていた。
すぐに癌で入院してしまったので、あんまり思い出はないのだけれど。




これまでの25年間を振り返ってみると、
今の自分のほとんどって、小学生と中学生の頃でほとんどが作られているように感じる。


小学生の頃は、ディベートがすごく好きな変わった小学生だった。
あとは、赤川次郎の小説ばっかり読んでいた。

ディベートで、いかに相手をいいまかすか、
その数値的な証拠とか理由、理論を自分なりに作っていって、
思い通りに議論が進んでいるときが快感だったなー。




中学では、勉強とバスケットしかしなかった3年間だった。

半端なく負けず嫌いなので、勉強でも部活でも誰にも負けたくなかった。

中学時代の勉強とバスケットが、
今の自分の考え方や性格を作ってくれているな、
という風に感じることがよくある。


今やっている仕事や考え方って、
中学の頃に部活で先生に言われていたことと一緒なんじゃないかって、
思うことがよくある。


「パス・アンド・ラン」
パスしたら走れ。
それが先生にいつも言われる言葉だった。

ボールをパスしたら、走る。
そしてまたボールをもらう。
そして、打つ。

打ったらリバウンドへ走る。
そして、スクリーンアウトをして、ジャンプする。
右手を思いっきり伸ばして、からだをひねりながらボールをとって、

逆サイドへパス。

そしてさらに走る。


バスケはひたすらそれの繰り返しだった。


パスして止まったら、次のプレーは何も生まれない。

限られた時間と人数とルールの中で、
いかに点をとるか。


残り時間と点差を見て、
今やるべきことは何なのか、
コートとベンチの全員が同じ思い、考えを持つ。
コートの中の選手は瞬間的に判断をする。


ひとりでもあきらめたり、心が折れたら負ける。

スラムダンクの名台詞、
「諦めたらそこで試合終了」
なのだ。

slam



自分ひとりでもだめ。
チーム全員が諦めたら負け。

自分ひとりが精一杯走っていても、
まわりが走ってくれなかったらパスできないのだ。



「走る」
って、短い期間では持久力はつかなくて、
それこそ毎日の積み重ねでつく力。

毎朝7時から朝練で校庭を1時間走って、
通学も自転車を使わずに、ランニングを30分以上して通っていた現役時代。

何でこんなことやらなきゃいけないんだ、
って毎日思っていたけど、
普段をそれをやっていたから、本番でも走れていたのだと思う。


持久力は、自分との勝負だ。
やめようと思ったらそこで立ち止まることは簡単。
まわりの人は誰も文句は言わない。

でも、ただ走っているだけでは点は取れない。
そして、ただ点を取っているだけでは、勝ちは取れない。


勝つという目標があり、
そのための作戦があり、
そのための練習があり、
そのための基礎練習がある。
そして、その練習を乗り越えるための強い心と仲間がある。

そんなことを学んでいた中学の3年間だった。


本当にそれは、今の仕事に対する考え方にも通じていて、
ただがむしゃらに働くのではなく、
考えて行動する。

でも、やらなくても誰も文句は言わない。



ただ、自分が試合に出してもらなくなるだけなのだ。



バスケは5人でプレーする。
うちの学校は20人くらいのメンバーがいたと思うけど、
AKB48 の選挙のように、毎回試合ごとに、前日に先生から背番号が発表された。

後輩が5番(バスケの背番号は4番から)をもらうことがあったし、
前回は5番だったのに、次の試合には出してもらえなかったり、
そんなことは日常茶飯事だった。

実力のない人は試合には出れない。
実力があって、チームが勝つために必要な人だけがスタメンに選ばれる。



私はいつも背番号は6番で、
自分でも6という番号が好きで、そこを誰にも譲らないという気持ちで、
毎回大会に臨んでいた。

いつもだいたいスタメンには選ばれていたけれども、
当時は何で自分が試合に出ているのか、毎回疑問で、不安でいっぱいだった。


「私はこのチームに何か価値をもたらしているのか」

って。

当時の自分は、勉強でも恋愛でもバスケでも、
「自分のいる意味」
というのをよく考えて、もやもやしていた。


だから、いっぱい走ったし、
いっぱい声を出したし、
誰よりも練習をした。

そして、勉強もした。


バスケのせいで勉強が出来ないのが嫌で、
テストでも1番を取ろうって思って勉強した。


単なる負けず嫌いだけだったのかもしれないけど。



今はそこまで負けず嫌いなわけではないけれど、
むしろ、他人に負けたくないと思うよりは、
自分に負けたくないって思うことが多い。


そして、他人に負けたくないと思うよりも、
同じ軸で評価してもらいたくない、と思う。

自分だけが周りに対して与えられるような価値を提供できるようになりたい、
と感じることが多い。





中学に入学して、バスケットをやり始めたのは13歳。
そしてもうすぐ26歳。

ちょうど2倍の年齢になるわけです。


試合の勝ち負けやユニフォームの背番号、
テストの点数で一喜一憂していたあの頃だったけど、

これからの人生は、
数値では測れない、
自分、個人として評価されるような人間になりたい。


大学とか会社とか関係なく、
伊藤初美っていう人間として、周りに価値を提供できる人間になりたいです。

それが、26歳になる直前の、25歳のハツが思っていること。
25歳のうちに思っていることを書いておきたかったので
書きました。


これからも好きなことだけをやってやって、
やりまくって、バイタリティあふれる女子でいきたいと思います。

25歳のハツ、ありがとう。
そして、26歳もよろしく!!